思い出と経歴
7月5日午後7時過ぎ。ブラジル・パラ州ベレン市の病院でハッピーな気分で生まれる。
ここは赤道付近に位置していて、年中ホットなところ。昼間は照りつける太陽が熱く眩しかった。
夜は意外に涼しく、星空はきれいで、文字通りの満天の星空でした。ホタルの描く星空もきれいでした。
ブラジルには10歳までいただけなのであまり多くは覚えていません。
ちょっと思い出せるブラジルでの断片的な記憶を以下に抜粋してみました(もしかしたら夢だったのかもしれない)
・俺が家の中にいて、誰かが外でごみ(?)を燃やしていた時、ボンと音がしたので窓の外を見たら
スプレー缶がロケットのように吹っ飛んで来たこと。(いやぁ危ないねぇ。)
・ヘビが扇風機にからまってた。(ヘビがそこから侵入したのか、扇風機の網の一部がヘビの太さに変形していた。日本じゃぁありえんなぁ)
・そういえば、ブラジルでサッカーしたことない。(記憶じゃないか)
・ゴキブリが出たときは靴で踏んづけてた。(気持ちワル!今はそんなこと絶対にできないなぁ。今はキンチョール任せ)
・近所に遊びに行ったときに、犬に囲まれ噛まれた。(で号泣。)
・
1991年2月14日午前(?)日本に上陸。成田空港で初めて自動販売機でジュースを買う。
♪100円玉で買えるぬくもり、素晴らしいですね。その後東京に移動。降り立った場所はビル郡。
おぉー!日本だぁと思った(心弾んでた)。新幹線で移動、夜7時頃、静岡県掛川市に到着。
激しく寒いなと思いJapanを感じた。
翌日目覚めたのは午前6時前くらいだったか(なぜか詳細に記憶)、起きて水を飲み。また寝る。
次に目が覚めたときには、激しく気分が悪かった。(今思うと時差ぼけ?無理もない、24時間以上の移動だったからな)
回復したのはその日の午後5時頃。カルビーのポテトチップスを食ったことを覚えている。
次の日買い物に出かけることになった。しかし目の前には衝撃的な光景が!!
−2月14日、東京で降りた場所と、さほど変わりないだろうと予想していた風景。そうビル郡みたいなやつ。
実際に目の前に広がっていた掛川の風景は極めて平凡な住宅街と、少し向こうにはトトロに出てくるような田舎の風景。(ショックのせいか当日午後の記憶はない)
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数ヵ月後、某小学校へ入る。
転校生(?)がブラジルから来た人間ということで、やたらとブラジル語を聞かれたなぁー。当初は俺自身、必要最小限の日本語力しかなく、
ブラジル語×日本語のミックス語を話していたレベルで「?」だらけだったなぁ。よく聞かれて印象的だったのはサッカーのこと。
最初は意味が全くわからなくて・・・。サッカーの発音に近い「袋」というブラジル語があって「いったい何で先生までもが袋の事を聞くのか!?」
等と非常に無意味に混乱した日々を過ごしました。
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某中学校へ入る。
小学校に続きいろいろあったなぁー。そういえばこの頃、いとこがやってたこともあってラジコンにハマる。
確か「三菱・パジェロ」→「日産・プリメーラ」→「ホンダ・シビック」と中学生ながら乗換えました。(ラジコンだが・・・)
音楽にも本格的にハマりだし「globe」もよく聞くようになり歌うようにもなった。
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某高校へ入る。
中学校に続きいろいろあったなぁー。ありすぎた。記憶もわりと新しい。引き続き音楽は大好きで「EveryLittleThing」にどっぷりとハマってしまう。
よーく歌ったなぁ(・・・あぁなつかしい)。
他にそれまであまり聞いたこともない音楽にもふれ聞くようになった。音楽っていいものですねぇ〜。
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某専門学校へ入る。
この学校は自宅から電車で1時間ちょいの場所にあって、入学後数ヶ月は通学だけでヘトヘトでした。
不思議と、この生活にも慣れ電車通学も楽しめました(電車の中での人間観察は中々面白いものでした)。
んで、いつも通りいろいろありまして。いろいろあったと思う・・・。
学校帰り静岡市内のドトールコーヒー2F(ここポイント)で、よくボケェーっとしてました。今思うとなかなか貴重な時間を過ごしました。
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今に至る。思い出になったら追記します。